六本木に「東京ミッドタウン」なる新名所がオープンしたそうで。実は何かと六本木界隈には訪れる機会が多く、この巨大なビルが建って行くのをずーっと見守っておりました。
そして、折りしもオープン前日という日に前を通りかかったら(オープン日でないニアミス感が私らしい)、プレス(取材)の人たちがわんさかいて、とんでもない人口になっていました。これから暫くは人まみれなんでしょうね。
新国立美術館にはオープン早々に訪れていたのですが、ミュージアムショップに行けてなかったことを思い出し、仕事のついでに立ち寄って、その後次の現場まで時間があったので、ヒルズに足を伸ばそうとしたら、偶然にも旧テレ朝通りに出まして・・・。
長らく、この道に行き着くことはなかったんですが、この通り沿いに実は新撰組の沖田総司の墓所である専称寺というお寺があるんです。15~6年に訪れたきりだったので、今日ここでこの道に行き着いたのも総司の思し召しと考えて行ってみました。
確かヒルズができたばかりの頃「総司の墓はどうなったのかな~」と気になり探してみたことがあったんですが、その時は見つけられなかったんです。
でも、昔通りの場所にちゃんとありました
入口の門がなくなってしまったように思うのですが、本堂と墓所はそのままでした。中には入れないのですが、横道の塀が低いので中を伺うことができるんです。
で、そこに変わらず総司はいました。
ひと際古々しい趣の小さな墓に・・・。
そっと塀の外から彼に手を合わせたのですが、寺の境内には重厚な桜の大木があって、あふれんばかりに花をつけていました。その姿を仰ぎ見ると、立派な寺の瓦屋根を覆うように咲き誇る桜花の群れの更に奥にヒルズがそびえていて、その光景は明治時代の風景にヒルズのビルを貼りつけたコラージュのようでもあり、とても不思議で、とても美しいひとコマでした。
桜の木の下には武士の首が埋まっている・・・と昔から良く言われます。
時代劇の切腹シーンなどでは桜吹雪が舞っているシーンが良くありますし、何よりその見事な咲きっぷりと散り際の潔さを武士が愛したからだと言われています。沖田総司は武士の一分を果たせずに病死してしまいましたが、毎年彼の頭上にこうして美しい桜の花びらが舞っているということが、いくばくかの慰みになってくれていることでしょう。
不思議なことに、私が総司に興味を持った当時、通っていた学校は彼が最期の時を過ごした植木屋の近くだったんです。そして、毎週のように追っかけをしていたテレ朝の近くに彼の墓があった・・・。もはや、これはお導きではないかと。
あいにくデジカメを持っていなかったので携帯で撮った写真ですが、この時感じた一瞬息を飲むような感動が伝わるといいな~と思います。
▽専称寺の瓦屋根と桜(右隅が六本木ヒルズ)