皆様、おひさしぶりでございます。
剛つんの舞台(そして私にとっては初の蜷川作品)を観て参りました。
ネタバレにもなりますし、とにかく長くなっちゃったので下に隠しますね。
席は上手側の中2階席だったので、上から見れてラッキーでした!
舞台を離れて客席で進行する場面が非常に多かったので、あれだと1階席にいると振り返ったり通路の演者を見上げたりとかできなさそうだし・・・。それを考えると今回の席は良席だったな~と。
寺山修司氏の処女戯曲ということで、言われもない”不安”があったんですが、それは的中したようでもあり、そうでもなかったようでもあり・・・。時代背景については、実体験ではないにせよ、私の年齢では何度も見聞きしてきた「60年安保闘争」が軸なので、劇中に出てくる単語が理解できないという”表面的な”ハードルはなかったんですが、とにかく終始薄気味が悪かった。
舞台背面の搬入口がパックリ開いて、駐車場が見える状態でプロローグを迎える舞台では、ストーリーが進行していくメインのロケーションがどんな場所であるかを動画的に立体的にセットを組みながら説明してくれ、まるで路面電車の窓に流れていく景色を眺めているようでした。映画のような映像美を感じさせてくれるインパクトのあるオープニング。
暗くて陰気な「排泄物を処理する汚い共同トイレ」が真ん中に据えられた舞台セットは、やっぱり観ていて心が落ち着かないというか、暗鬱な嫌悪感を憶えるのですが、生きとし生ける者すべては死ぬまで「排泄」を繰り返すわけで、これは生命とは切っても切れない象徴的な場所でもあるんですよね。同時に「排泄」行為は、老若男女、身分の上下、権利のあるなしも関係なく、人類に皆平等に起きる生理現象でもあり・・・。そう考えると、2つのストーリーがこのトイレで分断されたまま平行して進行していく中で、一体いつ交わるのだろうかと期待して待っていれば、最後の最後で剛つん演じる良が、まさにこの真ん中のトイレの中で廃人と化して終わるという後味の悪いエンディング。それもまた、この2つのストーリーを象徴しているかのような結末で。
そう言えば、前にもどっかでこんな”拒絶しきれない見心地の悪さ”を味わったことがあるなーと、帰りの電車で考えをめぐらせていたのですが、ようやく思い出しました!「あしたのジョー」ですよ!何となく、私にとっては「あしたのジョー」の世界観にちょっと似ているな~と思ってしまいました。
劇中のセリフも相当に生々しくて、映画やテレビだったら絶対にNGな単語もボロボロ出てきますし、おまけに舞台上での荒々しい濡れ場もあって、目のやり場に困ります(笑)。最前列で見ているお客さん、どんな顔して観たらいいんでしょうね~(恥)。遠藤ミチロウさんの弾き語りは誠に見事でして、彼がトイレの入口に座ってシャウティングしている様子を見ると、「YOU、若い頃はトイレの中に入ってるモノを良く投げてたね」なんて思ったりもして(笑)。彼が歌う曲もね、悲哀に満ちたメロディーに、やけにリアルで生臭いリリックが散りばめられていて(まぁ、ブルースなんだから、そういうもんなんですけど)とてもね、頭では噛み砕きたくない曲というか、ハートには響くんだけど脳みそが受け付けない、みたいな曲なんですよ。それこそが、この舞台のテーマソングではあるんですが。
私には、虚勢を張って徒党も組まず、一匹狼然と野心を燃やす良と灰男には共感することはできません。
一見、重々しく、さも何か問題提起をしているかのように哲学ぶった物言いに長けた灰男と、彼の言われもせぬカリスマ性に傾倒する良は、自らの器も見極めていない、惨めな、そしてただのちっぽけな若者なのですが、常に深刻そうで暗い表情を浮かべている反面、トイレの対岸にたむろする在日朝鮮人や下層階級の人々は常に明るく楽しげです。首吊り自殺した死体の前で飲めや歌えの大騒ぎ。ショッキングな画づらとは相反して、差別や貧困に直面している彼らの方がずっと前向きなんですが、それがとても哀しいんです。
反体制派の志を高く掲げるだけの青二才どもより、人生の底辺で懸命に生きようと日々努力している彼らにこそ共感できるんですよね。とは言うものの、硝子の少年たちは本当に傷つきやすくて・・・硝子を中から蹴破ろうともがく衝動には、優しく手を差し伸べてやりたくもなります。
剛つん演じる良もまた、差別階級に属する生い立ちで、それが彼の反骨心の源となっています。
彼が子供の頃を語る場面は、とても苦しい。
まっすぐ過ぎる良は、剛つんが先般演じた岡田以蔵と重なる部分もあり、いやはや、このテの役をやらせたら彼の右に出るものはいないね。蜷川さんが、この戯曲に森田剛を抜擢したことは全くもって正解かと。
良は安保闘争なんてどうでも良かったんじゃないかと思うんですよね。ただ、自分の存在価値を確かめたかっただけなんではないかと・・・、彼の生い立ちだからこそ、ここまで破壊的に生き急いだのかもしれません。
剛つんは今までにはないセリフ回しも難なくこなしていました。
芝居に関して言えば、V6の中で一番安心して見ていられるのが剛つんかも。それだけ、ここ数年の彼は、身の丈に合う役柄を演じてきたんじゃないかしらん。
私はね、何となく、良が寝ている灰男に背後から抱きつく場面や、灰男が良の胸に手を当てて講釈する場面に”愛”を感じたんです。同志愛ではなく恋愛ですね。←願望かもしれませんが。
いやぁ~、そしてね、何と言っても窪塚洋介が良かった!!
やっぱり、10代の頃からずっと見てきてる役者ですし、本当に俳優としての才能に恵まれていると思うんで、頑張って欲しいと思っているひとりです。カーテンコールの際に仮面ライダーのようなポーズをしたんですが、それが「ピンポン」を彷彿とさせまして、思わず「良かったねー、洋介」と涙がポロリと流れてしまいました。
洋介は-またそのキャラにマッチした-繊細さと破壊的な側面とを同時に持った灰男を見事に演じきっていたと思います。灰男のセリフは難解な言い回しも多いのですが、同じセリフを繰り返して強調したりと実に特徴的。この時代の討論好きな学生らしい長ゼリフもあり、初演ながら良くハマっていたなーと感心。これもまた蜷川さんのキャスティングの妙なのでしょうね。
灰男が、被弾して死んだナツミにゆっくりと近づき、長い静寂の後でキスをしたその口元から、赤いヒモがスルスルと伸びていくところは、この舞台の中で数少ないファンタジックな場面で、これはまさに寺山脚本と蜷川演出との化学反応だと思いました。この他にも、時折ディヴイッド・リンチのようだなーと思う視的感覚もあり、それも多分蜷川さんのセンスなんじゃないかなと感じました。
私の勝手な思い込みを言わせて頂くと、蜷川幸雄と言えば、やっぱり”シェイクスピア”だし(あと、イケメン好き。笑)、寺山修司と言えば”異端”というイメージ。どちらも、観ている者が(あるいは読んでいる者あ)人間のエゴだとか、自分の中に眠る激情やダークな部分を、嫌が応にも認識させられてしまうような迫力を感じています。
・・・「血は立ったまま眠っている」
この言葉の意味は一生かかっても理解できなさそうだし、なんか理解したくない気もします。
このフレーズがすんなり脳ミソと体に入ってきちゃったとしたら、なんだかもう人生は終末を迎えるような気がする・・・。