悉く滅びゆくものの良し悪しを考えた

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あー、終わっちゃったよ。

朱雀家の滅亡

10月10日で千穐楽でございました。

何か今思うとあっちゅー間でございました。

千穐楽は、カーテンないけどのカーテンコールが3回。

木村了くんは柴本さんと例によって上段からご挨拶。
満面笑みを称えていらっしゃいました。

千穐楽という事で、皆さんちょっと気が弛んだのか??

全員が咬むという・・・・・

珍しく木村了くんも甘ガミしてセリフを繰り返す場面がありましたっけ。

超珍しい。

新国立劇場に向かう際と、観劇してから帰宅する際に
原作の文庫本を必ず持参して、読み返すという作業をずっと続けていたせいか
千穐楽が3度目の観劇だったのですが、
かなりイイ感じにセリフが私の中にも馴染んできて、
役者の皆さんがアニメートしたセリフを味わうのが楽しくなってきたら
終わっちゃったって感じです。

舞台の上演時間の体感時間も
回を重ねる毎、短くなってる様に感じましたしね。

しかし、今日もまた了席でして・・・
39ホリプロ様。

まぁ、インフルエンザが移りそうなくらい近いの。

申し訳ないけど、
隅から隅まで
穴の開くほど、拝ませて頂きました。

出来れば3列目ぐらいの方がありがたいけどね。

だって、あまりに近くからガン見するのって気が引けるもん。

特にさ、目の前に木村了くんが立ちはだかっていて
他の役者さんがセリフを言ってると(しかもそのセリフが長いわけさ!)
セリフを言ってる役者さんの方を見るべきだというマナーがあるわけでして
とりあえずは!
なので、顔の向きだけそっちへ向けて、
目だけ違う方向を見るという技に
今回も磨きがかかってきましたよ。

それにしても濃厚な舞台でした。

木村了くんも達成感を感じない芝居だと仰ってましたが、
確かに、見ている方にも、それは伝わってこなかったかも。

だってさ、アレほどまでに今とかけ離れた価値観を
どう体得して、セリフだけで表現しろってのよね。

むずかしい事だと思いますよ。

それにしてもそのセリフが素晴らしいんですよね。

自分的に、「今度はこのセリフを楽しもう!」ってのがあって、
千穐楽に向けては、朱雀家当主・朱雀経隆の独白のセリフ(文庫本をお持ちの方は、P261をお開きあそばして。)

これは、単に本の文字を読むより、国村隼さんを通して耳で捕らえた方が、より深く楽しめるんですけど、

自分が戦死させたといっても過言ではない、息子の今際の際を想像するセリフがありまして、これがね、この例えがいちいち三島的で美しいんですよ。

まるで戦後の日本のあり方を皮肉っているかの様なセリフでして

日本が戦争に敗れたことで
日本の尊いものが滅びたとしてるんですよね。

古いもの、優雅なもの、潔らかなもの、雄々しいものは悉く滅びた、と。

また、

偉大な輝かしい力、誉れ、矜りも、人をして人たらしめる大義も失われた、と。

それを一枚の美しい織物に例えて、歴史の上でも二度とふたたび、同じ見事な織物を織り成すことはできまい。

、と。

これには、不思議と同意せざるを得ない気持ちになりました。

こんな私が、かつての日本人が抱いた誇りや誉れをどれだけ理解していたかなんてのは、皆無に近いのですが、

その美学が、一般的な日本人の中に現存していない事を確証する事は、容易ですから。

今の日本の美しさをつかさどれるものって
元から存在する自然と
古の建築や芸術しかないのかしら?

勿論日本人のDNAの中には
礼儀正しさや奥ゆかしさ、秩序を守ることなど
外国の人より長けている事は多いけど。

私はあの戦争で滅んだ、軍事的思想や狂信的とも言える日本人としての矜り高さは、
むしろなくなってよかったって信じていたんですけどね。

そう思うと同時に
『二度とふたたび、同じ見事な織物を織り成すことはできまい。』
とも思うのですね。

なんつって。

いやーーー、頭痛くなる。

P.S.
↓これオイシイよ~。
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