二宮和也くん自分がいる母体に少しでも何かを還元したい

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映画『母と暮せば』で日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞に輝いた嵐・二宮和也(32才)。バブル崩壊と共に思春期を生きた「ロスジェネ世代」、物心ついたときから不景気を目の当たりにした昨今の「ゆとり・さとり世代」。二宮はそのどちらでもない。

1983年、時代の狭間に生まれた彼のモットーは、「やりたいことを決めない」。「こういう仕事が来ました。あぁ、そうですか。その繰り返しです」 二宮は過去に何度もそう話してきた。別に、諦念を持って生きているわけではない。「今の環境は、ジャニーズ事務所にいなかったらありえない。自分がいる母体に少しでも何かを還元したい。ぼくはそのために働く」 二宮の口癖であり、労働自体への意欲は、実は高い。彼はただ、過度な上昇志向に意味がないことを知っているだけだ。

二宮は東京の下町で生まれた。実家は、自動車のワイパー用部品を作る工場だった。従業員は10名ほど。工場の2階部分を住まいとしていた。決して裕福な星の下に生まれたわけではない。「頑張ってもどうにもならないことがある」「いらないことでストレスためるなら金貯めろ」 これが母親の教えだった。

できる範囲で生きる。過度に求めない。質素な家庭環境に加えて、二宮自身、内に閉じこもりがちな子供だった。

大のゲームオタクで、休日は一日中引きこもってゲームをしていた。ゲーム音楽が大好きで、漠然と音楽の道に興味を持った。「ジャニーズ事務所に応募したのも、将来的に音楽関係の裏方ができればいいや、くらいの気持ちだったそうです」(芸能関係者) デビュー後も、彼の引きこもりの日常は変わらなかった。2013年3月、『とくダネ!』(フジテレビ系)に出演した二宮は、半年間で2度しか外食をしなかったことを告白。

もっと外に出るようインタビュアーに言われても「だってゲームで世界を救うのも大事だし」。二宮は、閉じた世界で孤独に自分と向き合ってきた。

《30年も経つと、もはや二宮和也という存在の意味なんて、わかりようがないというか、どうでもよくなる》と自分を語る。 昨年末、落語家の故・立川談志と談春の師弟関係を描いたスペシャルドラマ『赤めだか』(フジテレビ系)で、二宮は談春を演じた。師匠の談志役は、ビートたけし(69才)。“世界のキタノ”は、二宮をどう見たか。

全文は以下にて。

情報源: 二宮和也 自分がいる母体に少しでも何かを還元したい│NEWSポストセブン