ジャニーズの”昔話”担当のうららです(笑)。
いや~、日本の映画もアカデミーを獲れる時代になりましたね~。
作品は見ていないんですが、公開時に仲間内で「こんなん作ってどうなのよ~、誰が見に行くわけぇ??」なんて失礼なことを言ったこと、ごめんなちゃい。
モックンも流暢に英語を操っていたそうなので、やっぱ俳優さんも英語は話せた方がいいよね~。とりあえず、海外からオファーがあっても、セリフよりも何よりも、監督やキャストとコミュニケーションがとれるかどうかが大事だもの。
で、シブちゃんの昔話でもしてみよっかな~と、やって参りました。
同世代ですし、私がトシちゃんに夢中だった時代は”後輩”のシブちゃんの応援にも良く駆り出されましたね~。
まぁ、私はその当時、モックンを”すばる”、ヤックンを”克也”、フックンを”敏和ちゃん”と呼んでいましたが。
すばる、克也は、彼らが出演した「2年B組仙八先生」での役名で、当時のジャニーズファンは彼らをこう呼んでる人も多かったと記憶しています。
その頃、私にはシブちゃんと共通の友人がいたので、時々六本木のクラブなんかでモックンやフックンに会う機会があって、何度かお話したこともありました。
モックンは打ち解けるまでに時間がかかるタイプですが、慣れるとハンパなくはしゃぐ(壊れる?)人でしたね。寡黙だったのが突然早口になって、ちょっと掴みどころがない感じで、ジャニーズらしくないムードがありました。
「月光淑女(ムーン・ビーナス)とか、「KILL」って曲をリリースした頃は、結構ちょくちょく会う機会があって、映画「バローギャングBC」の女性キャストの公開オーディションにもつき合わされました。
ちなみに、そのオーディションで私が選んだのは渡辺美里ちゃんだったんですけどね(笑)。
この映画の撮影は神奈川県に大掛かりなオープンセットを作って、なんか朝早くから良く撮影を見に行ってたな~。エキストラで参加した記憶はないんで、単純に見学してただけだったのかなぁ。
そのうち、共通の友人が大学を卒業し、就職してしまった為に疎遠になって、モックンの話題も聞かなくなり、私もロンドンに行ったりと新しく興味の対象も変わってしまったので、それっきりでしたが・・・。
その後、数年前に仕事の取引先の女課長さんがモックンのダイハードな追っかけだったことを知り、仕事そっちのけで当時の話に花が咲いたこともありましたね~(笑)。その時以来かな、彼のことを振り返るのは・・・。
いや~、すばるが頑張っていてくれることに私も励まされます。
「アカデミー外国語映画賞」本当におめでとうございます!