公開日に早速見に行きました!
終映が夜中になると言うのに大入り満員でした。京都大火編も公開初日に見に行ったのですが、ここまで客入りは良くなかったかも。
尻上がりにどんどん動員が増えているんでしょうね。
京都大火編だけで51億だってんですから!!
ネタバレを避ける為、とりあえずたたんでおきます。
いやぁね、3部作をこれほどまでに堪能したのは「The Lord of the Rings」以来ですよ。
しかも、2作目と3作目の公開が近いってのがいいですね。
「ホビット」や「トランスフォーマー」なんか、新作を見に行く頃にはすっかり前作までの展開がどっかいっちゃって、Wikipediaで確認してから見に行く始末ですから(笑)。
しかし、まぁご存知の方がいるかどうかは分かりませんが、あたくし志々雄役のF氏が余り好きではないんですね。彼のキャラクター自体はキライじゃないんですが、彼のお芝居が不得意なんですよ。でも、志々雄なら気にならない(笑)。むしろ、あの大袈裟加減がちょうど良かったんじゃないかと。
それにしても、最後の1対4の死闘は3部作のラストにふさわしい見応えと迫力がありました。
悪者が最後に意外にもあっさりやられちまうって作品も多いんですが、志々雄はでき得る限りの嫌がらせをして力尽きましたからね。直接誰かに倒されるのではなく、自滅するというか自らの命を燃やし尽くす最期ではありますが、心にも体にも爆弾を抱えた彼は”武士らしく”命を捨てる場所を選んでいたのかもしれませんね。
作品全体に言えることですが、ストーリー自体が恐ろしく単純なだけに、そこに重きを置かず、細部にわたって丁寧に映画らしく撮影することにこだわっていて、やっぱり実写ってのはここまでポンゲでやらないと、あっ、失礼しました本気(本気と書いてポンゲと読む by 綾小路翔)でやらないと、コミックの想像力やアニメの表現力には太刀打ちできません。俳優部もさることながら製作陣に惜しみない拍手を送りたいと思います。
そして、これがワーナー作品であるということが、最も落ち着きがいい気がしますね、私個人的には・・・。
ただ、原作知らずの私はですね、これまでの流れから、いつ薫ちゃんが邪魔しに来るんだろうと気になって気になって(笑)。「あ~、お願いだから、今ここで薫ちゃん来ないでー」と思うシーン度々。結局、3部作の最後の最後で薫ちゃんは全然首を突っ込んでくることなく(笑)、そのことも非常に内容としては充実していたと感じる点でした。
まぁ、ちょこっとだけ悪態つかせて頂く、神木くん演じる宗次郎と剣心の絡みがもうちょっとあったら良かったのにな~って思うのと、志々雄とは別のF氏演じる師匠出演シーンが多い!ってか多過ぎて、前半は飽きそうになりました。師匠とのアミューズ対決は1回で良しと思うのは私だけ??
セットやロケーション現場なんかは、いちいちスゴくって、もっとじっくり見ていたいのに、ちっともそれをさせてもらえない贅沢な場面が数々あり、アクションシーン含め、これは何度見に行ったって絶対スクリーンでは拾いきれないから、やっぱりブルレイ買わないとダメだわ・・・って思いました。オーディオコメンタリー付の映像が早く見たいです。
アクション監督の谷垣さんの特集番組をWOWOWで見たんですが、アクションは意外とあのスピードのまま撮ってるんですねぇ。さすがに、これは早回し多用してるんだろうな~と思っていたんですが。
役者さんは何度もトレーニングを重ねて細かい動きを体に染みつけた上で撮影現場で忠実に再現し、なおかつ芝居をするわけですから、さぞ大変でしょう。しかも、それが1回ではなく普通に何度もあるわけで、体に染みついた前の動きを今度は次のアクションの為にどんどん体から抜いていかなければならない。これ考えるだけで想像を絶します。
でも、この作品を見て、初めてアクションシーンって動きありきじゃなくて、逆に動くことによって芝居に魂が入っていくんだな~ってことを、私は強く感じました。健くんは撮影が終わると箸も持てなかったそうですから。
京都大火編までは、なんだか志々雄一味の企みや蒼紫が剣心を付け狙う心情が良く理解できなかったのですが、動乱の幕末を生きた武士が志々雄や蒼紫のように修羅に身を落す、そんな理由が「るろうに剣心」で少し分かった気がしました。
江戸時代の武士にとって刀や武道は矜恃=精神性でしかなかったのが、幕末で「実戦」を経験し意義が一変した。そこで、武士とは生身で戦をする生き物なのだということに開眼した輩も多かったと思います。250年の歳月をかけてそれまで培ってきた武士の高い衿りを抱きつつ、自らの力を存分に奮いながら、それまで経験したことのなかった「戦場(いくさば)」で、実際に生死を分けて闘ったモノノフにとって、迎えた民主主義の時代の波は果たして彼らが期待した世の中だったのか。ようやく目覚めた武士の魂をくすぶらせ、新しい時代に抗い、居場所を探し続けた武士がいてもおかしくはないと思うんです。
剣心は、だからこそ「斬らず」を選択した。
既に陥った修羅の果てに希求した理想が博愛だったのかな