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観劇日 初日2007年2月19日(月)
2月26日(月)
3月 6日(火)
東京最終日 3月11日(日)2部
何から書いてよいのやら・・・。えーと、感想と言うよりは「個人的見解」と言った方がいいかもしれませんが、確認作業も含めて、舞台に散りばめられた様々なファクターをピックアップして、私なりの勝手な思い込みと解釈で考察してみたいと思います。「面白かったね」とか、「感動したね」ってタイプの演劇ではありませんし、かと言って、どこまで深い意味があるのかも具体的には提示してくれないので、勝手気ままにその居心地の悪さを感じたまま表現してみたいと思います。
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現場所見 「ロケーション」 |
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舞台は千葉県の“とある”町、というボカシはあるものの、かなりロケーション・イメージは具体的だったように思います。近所なのに知っているようで知らない場所ってありますよね?!自分が住んでいる町のすぐ近くにあるのに行ったこともない所とか、初めて耳にする地名(住所)とか・・・、それを上手く表現しているんじゃないかなーって思いました。
松田家があるのはこんな所です
・新京成線「新津田沼」〜「北習志野」(キタナラ)間のいずれかの駅を最寄とする地区
・同沿線上の「習志野」駅至近には、航空自衛隊 第1高射群第1高射隊がある。
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現場検証 その1「効果音」 |
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効果音 ヘリの音
上記、現場所見の記述通り、付近には自衛隊の屯所があるので、全編を通してヘリのプロペラ音に包まれています。舞台の幕開けも、このヘリを目で追う勝の表情からスタートします。また、本舞台の時間軸は、ある冬の日の午後から始まり〜夜〜翌朝と進行するのですが、時間を問わず常にヘリの音に囲まれています。勝の叫び声がヘリの音にかき消される場面もあり、これはかなりリアル(聞き取りにくいけど・汗)。
効果音 洗濯機の音
勝の親友の根本が、3ヶ月も経っているのに一向に「殺人者」が捕まらないことに業を煮やして自警団を組織し、勝に参加を呼びかける場面からこの劇は始まります。この冒頭シーンから母親が登場するまでの間、生活感たっぷりに舞台上手隅に置いてある二層式の洗濯機のモーターの音がしています。
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現場検証 その2「顕在しているメタファー」 |
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ドア
舞台冒頭で、勝はドアに緑色のペンキを塗っています。近所で起きた殺人事件の唯一の目撃者である妹の真理を呪縛から解き放ってやりたいと、だだの慰めかもしれないが、彼女が遭遇した“夜の海のような深い緑色の闇”を開け放つ心の扉を再現しようとしています。真理にピアノを教えている北村が「(思い通りのドアができたら)中に入ってみるの?」と問いかけますが、勝は「中に入るとは限らないでしょ?!外に出るのかもしれない」と反論します。勝と真理の目的が共にお互いの置かれている今の状況から「開放されること」であることが分かります。
オウムのアオちゃん
予断ですが、初日では会場に入るとアオちゃんは既に軒下にいたんです。それが、1週間経ったら出演者同様に上演開始と共に登場となっておりまして・・・。さては暴れたかな(笑)。
現場に慣れだしたのか、アオちゃんは26日に言った時にはかなりお喋りさんで(しかも、かなり重要なシーンで・笑)、困っちゃったな〜と思っていたんですが、東京オーラスでは客席にいてもハッキリと聞き取れるぐらいの明瞭さで「アオちゃん」と、自分の名前を連呼(爆)。どうせなら、舞台の進行通り「マグロ」って言わせりゃ良かったのにね(その後の仕事に差し支えるだろうけど)。アオちゃんが羽をバッサバッサしたり、声を出すと、セリフのかかっていないキャストさんはチラリと横目でアオちゃんチェックをしてました。でも、こんだけリアリティーのある舞台で、鳥が騒いでるのにムシするのは不自然というもの。役者さんはナイスフォローだったと思います。劇中で一度だけ勝がアオちゃんをツンツンする場面があるのですが、これは結構お気に入り!
鳥かごに入れられているアオちゃんは、勝のメタファーではないでしょうか。長男が出て行って、今日この日に姿を現すまでの9年半、まったく変わりもしない町で地道に魚屋を継ぐ次男坊である勝のやりきれない閉塞感がここに現れているような気がします。ある意味、この舞台に登場するすべての人物が“鳥かごの中の鳥”であると言ってもいいのかもしれません。
最後にアオちゃんは象徴的に松本紀保さん演じる北村の妻に殺されてしまいます。夫と勝の母、信子が不倫関係にあることを知って、腹いせに殺したんだと思われますが、彼女は「鳥を逃がそうとした」というんですね。「逃がそうとしたのに羽が切られていて飛べなかった」と・・・。その羽を切ったのは不倫相手の信子にほかならない。この狂気にも満ちた彼女の告白のクダリでは、夫である北村はガックリと肩を落としています。
特徴のない男
真理と勝は共通した強迫観念を抱いていることが、彼らの語りの中から明らかにされて行きます。ひとつは後ほど述べるとして、劇中で最も特徴的に、そして、具体的に視覚に訴えかけてくるのが能面のような顔を持った(非現実の)男です。彼の顔は死人のように全く生気がなく、また表情もありません。そして彼が着ている服も、色といいデザインといい何ら特徴がありません。完全に“モブ”なのですが、不気味で強烈な存在感を持って舞台にしばしば登場します。真理は殺人を目撃した雑木林でこの男と遭遇し、魔法をかけられたと(自他共に)思い込んでおり、勝も同様に全く会ったこともない表現のしようのないほどに特徴のない男が夢の中に出てきたことがあると話します。
数回、この男は舞台に現れるのですが、中で勝は1度だけこの男と対峙して「お前は誰だ」と問いかける場面があります。この男が示すもの・・・それは果たして何だったのか見解が分かれるところだと思いますが、やはり、それは彼ら自身の深層心理=心の闇の具現化ということなんでしょうか?!平凡な私には分かりません。
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現場検証 その3「潜在的メタファー」 |
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月
観客に対して視覚的なアプローチは一切ないのに、暗に何かを指し示しているかのように印象的に語られるモノたちがあります。それは、一見突拍子もなかったり、何の脈絡もないように見受けられるのですが、反面追求しだすと何か意味があるようで仕方なく思えてきます。
勝の語りの中で印象的なのが「月」の描写で、彼は正江に対して違ったシチュエーションでの「月」について2度に渡って話しをします。前の「特徴のない男」の項で述べた、真理と共有している強迫観念のうちのもうひとつが、この「月」で、真理にはもう少し違った形でこれが現れます。
勝は新津田沼駅からJRの津田沼まで抜ける道のボロッちぃ階段で「昼の月」に遭遇し、どれだけ歩みを進めても月は彼を頭上から見下ろしていて、その視線からは逃れられないと取り憑かれたようにまくしたてます。そして、劇が夜の場面へと進行して行くと、月がキレイで手を伸ばせば届きそうだと言う正江に、昔バスから降りた時にこんな月に遭遇して、やっぱりどこまでもついてきて困惑したと言う「夜の月」についても語ります。この「月」には彼にはどんなに望んでも抜け出せない、また望まなかったとしても逃れようのない現実があることが示唆されているようです。それは、昼も夜も誰かに観察されているという強迫観念でもあるのではないでしょうか?
ニラ
勝の父、清は実直そうで平凡そうな男なのに、どの家庭にも居そうな親父くさい“こだわり”を持った人物です。バスタオルの好みや甘いものが嫌い、といった小さな“こだわり”は、勝に受け継がれていることも表現されています。この辺りは、ちょっと進海丸を思い出させますね(魚屋だし・笑)。清は妻がピアノ教師の北村とイイ仲なのを知りながら黙認して自分自身の“孤独を受け入れて”います。
そんな清は、舞台冒頭から、昼間食べたレバニラのニラが奥歯に挟まって取れない、という事態に陥り、何度も北村に奥歯を見てもらうという場面があるのですが、ここでも、一見コミカルに見える2人のやりとりにはどこか緊迫した空気を感じます。清にとって“ニラ”はスッキリしない邪魔者であるに違いなく、それを北村に見つけさせるという行為には、どうしても意味があるように思えてなりませんよね?!また、ニラは未だ見つからない殺人者を表しているようでもあり、どこか引っかかりのある日常を表してもいるように感じました。
おそらくシロクロはっきりしているタイプではないと思われる清は、この“ニラ”の力を借りて本音を代弁しているような節もあります。しつこく真理を調べに来る刑事に「しつこいなー・・・、えっ、このニラが!」と言ってみたり、クライマックスの翌朝のシーンでも、北村夫妻が引越しをし、正江が犯人であることが分かった時に「ニラが取れた」と象徴的に言うのにも、それなりの意味があるのでしょう。
ハムスター
勝の隣人である加藤家は、息子を殺された殺人事件の被害者。家電ゴミの収集癖のある夫(この収集癖が殺人事件の前からなのか、後からなのかは不明)とは、明らかに夫婦は良くないようだし、夫の彰は正江と勝の関係に気づいているようです。正江が一切の世話を看るという取り決めで買い始めたハムスターは、一時期夫婦の関係を支えていましたが、面倒は看ないくせに可愛がるだけの夫への反発なのか、正江はハムスターにエサを与えず、水も取り替えず放置します。彰は「ちゃんとひまわりやった?水も取り替えてないでしょ?いつもはくるくる回ってるのに、ゆうべはくるくる回ってなかった」と勝の前で責めます。正江はしたり顔で「ガーガー寝てただけでしょ?!ちゃんと回ってたよ、くるくるくるくる」と言い返します。この一連の会話は非常にテンポが良く面白おかしい会話なのですが、ハムスターはイコール殺された彼らの息子、和也を指しているのかな・・・と想像できます。夜のシーンで、勝がオレンジ色の「月」の話をした後、正江は「あたしが殺したの!」とハムスターの話を切り出しますが、ここでの彼女の語りで想像は確信に変わります。
雑木林
舞台セットの上段後方には雑木林があります。それは特にどうと言う存在感もなく、ただセットの境界線でしかないように見えるのですが、実は劇が進むにつれて、この雑木林には目に見えない “邪悪な何か”が潜んでいることが分かってきます。「特徴のない男」もここから出入りしますし、鬱蒼とした藪は登場人物たちの心の奥底を表しているようです。昔からお伽噺などに例えられるように、「森」や「林」は精霊の集まる聖なるエネルギーを秘めた場所である半面、その奥深くには陽の光も届かない、何人をも寄せ付けようとしない闇の世界が広がっていて、洞穴や底なし沼といった出口の見えない空間に魔物が棲みついています。だからこそ、人間の深層心理を言い得る格好の例えなのでしょう。
正江は自分の犯した罪を告白する場面で、前にも一度雑木林に踏み込みそうになったが、手前で留まったと言います。でも、2度目は気がついたら雑木林の、しかも奥の「闇」に既に足を踏み込んでいたと・・・。彼女の少し哲学的にも思える告白から、実際に存在する目の前の雑木林と、自身の心の中とがリンクしていることが分かります。
夜(夜の海)
劇の中で、頻繁かつ象徴的に「夜」について語られる場面があります。劇を構成している3つの時間軸の、まず最初の午後のシーンでは、真理が開け放ちたいと欲しているドアの色は「夜の海」に似ていると表現されます。緑なんだけど黒い・・・夜の海の色。実は、古来から日本語でも英語でも漆黒を表すのに「緑」を使うんですよね。俗に言う「鴉の濡れ羽色」のことです。
また、午後の場面の終わりでは、ベランダで洗濯物を取り込んでいる正江と会話をしている勝が意味ありげに「また、夜が来る」と言い放ちます。勝は既に正江が殺人者であることを知っているので、この場面の一連の芝居では非常に複雑な表情をしています。
そして、舞台は暗転して実際に場面は夜に移ります。この夜を迎えて、段々と登場人物たちの本性が現れてくるんです。
バーベキューをしている団欒の席に踏み込んでくる2人の刑事。自転車のサドルを盗まれてしまう勝の親友、根本。彼は「(サドルを盗られるのは)これで3度目だ。いつも俺を見張ってやがる」と嘆きます。これは、勝の「月」同様に“いつも誰かに見られている”小さな町なではの閉塞感を思い起こさせます。
そして、黙々とゴミ捨てをする生真面目な勝。
兄を慮って「お兄ちゃんはしたいようにすればいい」と助言する妹の真理。
母、信子と北村の恋人同士のような会話。
昼間突然現れて、突然消え、再び夜の裏庭に現れる北村の妻・・・。
勝と正江の純愛のシーンは、ハムスターのクダリと共にここで展開されます。勝が話すオレンジ色の夜の月と、正江が羨む松田家の台所から漏れるオレンジ色の光には同じ意味があるように思えます。勝にとって家族は「月」のように、いつも自分に付きまとう存在。でも、正江にとっては取り戻すことのできない温かくて甘い存在。勝はここで殺人者である正江を救いたいと(そして自身も日常から脱するために?)翌日、ランチの後どこか遠くへ行こうと誘います。
夜の不気味さが一番良く現れていたのが、9年半も家を空けていたのにこの日フラっと戻って来た、長男の健司が突然笑い出すシーン。「何が可笑しいの?」と問われ、「いや、つくづく夜だなーって思ってさ」と答える健司。そして、「夜に飲み込まれちまうぞ」と支離滅裂なことを言います。彼は何を知っているわけでもなく行ったんでしょうが、この言葉はなぜかそこに立っている登場人物たち皆の胸に刺さってくるんですよね。
最後、翌朝の場面で、正江が自身の犯行について吐露する段では、とうとう足を踏み入れてしまった雑木林の奥の夜の闇の様子が細かく語られます。それは余りにも暗く、一歩も足を踏み出せないほど、見渡す限りの闇で“夜の海“のようだと表現します。ここで真理と正江は同じ闇を見ていたことが判ります。実際のシーン朝のなので明るいのですが、彼女の話と共に舞台が暗転し、かすかに正江と勝の顔だけが闇を掻き分けてぼんやりと浮かび上がります。
天井のシミ
ラストシーンで真理が自分がベッドに入ると、ちょうど目線になる天井に人の顔のようなシミがあって、それが日増しにどんどんどんどん大きくなって、逃げたくても逃げられなくなっていると告げます。これは、勝の「月」と共通した強迫観念なのだと思いますが、音大に通って平凡な日々を過ごしていた彼女に、殺人事件を目撃してしまった精神的ショックで左半身が麻痺し、ピアノが上手く弾けなくなってしまうという逆境が与えた強迫観念なのでしょうか。唯一の目撃者という、誰とも共有できない情報を得てしまった彼女の苦しみが投影されているのでしょう。ただ、真理は殺人者が正江であることが分かっていたのでしょうかね?正江だと分かっていたからこそ、彼女を愛する勝に「お兄ちゃんは行きたいところに行けばいい」と“逃げる”ことを勧めるような言動をしたのか?今から思うと、ドアに色を塗っている冒頭の場面も、勝と真理には共通認識があったからこその確認作業だったのかな〜とも思え・・・でも、これは健司を除く松田家の人々全員に言えるんですよね。皆、正江が犯人だと知っていたんだろうか?と。真理の名前は「しんり」と読めますしね。
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現場所見2〜鑑識調べ |
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演出 ピアノ(音)
そう言えば、ピアノの音も私が行った初日、26日の前半の日程では会場のBGMになっておりまして、幕が上がる直前に徐々にピアノが大きくなり、そのまま劇に突入する・・・という演出だったんです。初日はもちろん初めて観るお客さんばかりですから、この演出に気づく方はいなかったようですが(それでも、私には手の内が読めてましたけど・笑)、26日の時点で既に会場はリピーターが多くなっていたようで、ピアノのボリュームが上がりだすと途端に手ぐすね引いて(笑)シーンと静まり返ってしまったのが残念でしたね。東京オーラスの時には、既にこの開演前のピアノの音はなくなってしまったんじゃないかな〜。やっぱり、ジャニーズの公演って何度も見に来るお客さんが相手だから演出も難しいですね。
劇中ではピアノの音が場面展開の切り替えにひと役買っていました。
事件を目撃したショックで左手と左足が麻痺してしまった真理が、まるで自分探しをするかのようにたどたどしくて、中盤の夜のシーンになっても弾き続ける音色は彼女の必死さを表現していました。北村が弾く熟練した音色は真理のそれとは違って軽やかでした。犯人探しが終わったラストシーンでは、それまでとは打って変わったピアノの美しい旋律が、真理が呪縛から解き放たれたことを会場全体に伝えていました。
演出 隣り合っているのに越えられない境界線(セット)
舞台のセットは逆V字型で下手側に加藤家の裏庭、上手側が松田家の裏庭になっいて、両家に挟まれて舞台後方上段へと石の階段があり、ここを登ると雑木林を囲む路地があります。路地には時折明かりがゆらゆらと不安定になる1台の古臭いジュースの自動販売機があって、両家の裏庭は生垣やブロック塀などで明確に境界があるわけではなく、劇は主に松田家側の庭で展開されるのですが、必然的に登場人物たちは上手側に立ち位置が偏っているので、ちょっと観客としては見づらいというか、気持ちの良い構図ではありません。明確に境界線がないのにも関わらず、両家の庭にはハッキリとした温度差があって、しかも松田家の人々は隣の敷地には片足もかけません。隣人のプライベートを尊重しているというよりは、むしろ崩壊していく家族(加藤家)と再生して行く家族(松田家)の間に立ちはだかる超えがたいギャップを感じます。
演出 一陣の風(効果)
雑木林の前の路地に時折一陣の風が吹き、木の葉が舞うんです。季節は冬になりきれていない冬という設定で、これはリアルに今年の冬の気候を表しているようで、この舞台が書き下ろしによる“ナマモノ”だからこその設定だな〜と感じました。見過ごしがちでもあるのですが、何か意味ありげでもあり、忘れた頃にピューッと吹く風にふと劇に集中してた視線が動かされます。
演出 シンクロする会話(演技)
セットの項で“観客にとって見づらい”と書きましたが、セリフの中でも観客に不親切な場面がいくつかあります。舞台上に登場人物が増えると、それぞれが思い思いに話をし出し、会話がシンクロするんです。普通の舞台なら、おそらく順を追って話させるところなのでしょうが、大して重要なセリフではない他愛のない世間話なので、シンクロしていても劇の理解に差し支えることはありません。人が5〜6人集まれば、何となく2〜3人づつで会話が偏ってて行くことってごく自然にありますよね!?それを、この舞台ではキャストさんたちが見事な間合いでリアルに再現して見せてくれます。
そして、実はかなり不気味な存在である北村の妻、和代は、今、誰かに話しかけていたかと思うと、突如携帯電話を取り出して別の相手と会話をし始めます。そして、和代が電話の向こうの相手に打つ相槌は、彼女を挟んで会話をしている舞台上の人物たちの会話に、絶妙にシンクロして割り入ってきます。この辺りの松本紀保さんのテンポはバッチリ決まってましたね。
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証言〜出演者のパーソナリティ |
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松田家の人々
地道に家族で鮮魚店を営む家族ですが、その実はバラバラです。妻がピアノ教師と不倫をしていることを知りながら黙認している寡黙な父。9年半前に家を出たきりだったのに突然舞い戻った長男。実は彼は金の無心をするために帰宅したのですが・・・。妹は音大に通うエリートから、殺人事件以来「魔法をかけられ」て体も心も自由を奪われてしまう引きこもりに。主人公の勝は、退屈な日常から脱却したいと願う一方で、妹を置き去りにできない生真面目な性格。正江に魅かれ、彼女から子供殺しを告白されて、これが町を出るチャンスと逃避行を考えますが、平凡すぎる彼には結局家族も日常も捨てられずに、最終的には正江を自首させようと通報するに至ります。平凡に見える一般的な家族が、殺人事件という非凡の中に置かれた時に崩れそうになりなながらも、お互いを見つめ直していく・・・、それを訴えたいが為に、これほどの演出が必要なのかどうか、私には理解できませんが(笑)、健ちゃんも「家族の再生の話」と説明しているので、もっと深読みしても余り答えは出てこなさそう。
勝という男
やっぱり勝は家族を捨てられなかったのでしょうかね?正江とは深い仲・・・というよりは、もっと純粋な思慕であったように思えますし、最後に何故彼はケーキを食べながら泣いていたんでしょうね?正江がどうなったのかは明示されないので勝手に想像するしかないのですが、それが分からないと勝の涙の意味も不可解です・・・。そして、劇の最後のセリフ「オレは今日生まれたんだ」というセリフ・・・。えーっ、そんな劇だったけ、これって?と思うぐらい唐突に感じたのは私だけでしょうか?
ひとつ、素朴な疑問があるんですけど、ゴミ捨てから戻ってくる時に勝は口笛を吹いてますよね?あれって生音じゃないっすよね?あんなデカイ音出せるわけないじゃん、って思いながらも、余りにもピタッと口の動きが合っていたので、もしや・・・と思いまして(何しろ連日“つむじ席”だったもんで・・・・ポリポリ)
そう言えば、登場人物たちの名前も似た音が多かったと思いませんか?マサルとマサエ、カズヨにカズヤ。来よしと彰は共に感じひと文字だし・・・これも現実世界には良くあること=リアルの追求なのでしょうか?
親友の根本
コミカルで純粋な根本っちゃんは、重くなりがちな舞台をいい具合に軽くしてくれました。自転車のクダリは可笑しくもあり、おぞましくもありました。ただ、彼も突然意味ありげなセリフを言い出すんで、それがちょっと突拍子なくて違和感がありました。勝に「おまえ、どっかに消えようと思ってるだろ?20年もつきあってれば、そんなことぐらい分かる」とか・・・、今言うんだそれ?って感じで(苦笑)。
ピアノ教師北村夫妻
裕福な家の娘と結婚した北村は全く妻に頭が上がらない。そのマスオさん的窮屈さから勝の母と不倫したのでしょうか?全く別の土地に引越しをすることで仲を引き裂こうとした妻の和代は、最後の最後に嫌がらせの為に松田家に姿を現したのでしょうか?しかも、カゴの中の飛べない鳥を夫と投影したのか、鳥が「マグロ、マグロ」と叫んでいたのを聞き、逃がそうとしたのに羽を切られて飛べなくされていたことに腹を立てて鳥を殺してしまいます。その鳥を勝の母、信子に手渡すシーンは猟奇的です。このシーンに入る直前に、父親の清が勝に「オイ、勝!マグロやったのか?」、「早くマグロやっちゃえよ」と促す度に和代の表情が暗くなるのが印象的でした。「マグロ」にも何か意味がありそうだし・・・。
所轄刑事2名
しつこく真理を尋問しようと松田家に足を運ぶ刑事2人は、少々刑事にあるまじき失礼な立ち振る舞いをします。行き詰った事件の謎を紐解く為に唯一の目撃者である真理から情報を得ようとしますが、勝の断固とした防御に行く手を阻まれます。しかし、最後の最後には、その勝の通報によって正江を逮捕しにやって来ることになる。一旦事件に巻き込まれたら、このように感情も生活も無視されて執拗に刑事に押しかけられるということを誇張しているのでしょうか?それは、「月」や「天井のシミ」のようなものなのでしょうか?
加藤夫妻
この舞台の根幹だと思うんですが、なぜ正江は息子の和也を殺してしまったんでしょうか?答えはハムスターのクダリに隠されていそうなんですが、それはヒントのひとつに過ぎず、結局答え合わせが出来ないまま終わるんですよね〜。彼女は夫に「前にも一度あったのよ」と、子供が夜明けを待ちきれずに雑木林にかぶと虫がかかっているかそうかを見に行ったことを告げますが、その時は彼女が雑木林の奥の「闇」に吸い込まれずに済んだと表現しています。でも、今回は気づいた時にはもう「闇」の中にいたと言うんですね。何が彼女をそんなにキレさせたのでしょうかね?思いつくことは皆決定的な動機にはならんのですよ・・・。
そして、彼女は最後どうなってしまったんでしょう?刑事がやって来た際、勝は正江を自首にさせたいから、5分後に刑事の車に行かせるよう取り計らいます。この5分でケーキでも食べながら話をしましょうと、甘いものが苦手な勝は正江に言います。そして、ベランダにいた正江が窓を閉めて階下に下りてくるのかと思うと、一向に出てこない。正江の夫の彰は電気コードを握り締めたまま裏庭から家の中に入り、窓に鍵をかけます。ここで勝はわざと大きな声で「あれぇ〜?遅いな、正江さん」と言い、刑事が慌てて加藤家に踏み込む・・・。二人は死んでしまったのでしょうか?だから、−正江が現れないことが分かっていたから−勝は泣いていたんでしょうかね??クライマックスに来て全く理解不能な場面でした。
泣いている勝を前にして、真理が例の天井のシミの話をし出します。その話を聞いた父親の清は「孤独を受け入れなさい」と言います。で、母親の信代が勝の誕生日を一日間違えてプレゼントを渡し・・・勝は「そうだ、オレは今日生まれたんだ」と言い・・・で、ここでジ・エンドなわけです。ここまでの流れすべてが唐突じゃありません?このエンディングにするなら、今までの劇じゃなくたっていいじゃん?!って思うんですけど・・・。ただ私が俗物なだけなのか??
皆さんはこのお芝居を見て何を感じられましたか?私は“作り手が感じて欲しかった何か”はとうとう見つけられないまま終わりました。と言うことは、つまり単純に言ってしまうと「心に響かなかった」ということに他なりません。残念な気がする一方で、少し安心すらしているんですよね。これが理解できてしまうことの方がよっぽど脅威だし、あり得ないですから。難しい展開や非現実的な設定なんてひとつもないのに、理解できない言葉なんてひとつもないのに、なぜ私にはつかみ取ることができないのでしょうね・・・。
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| by ミリオンダラ子 |
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